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激動の昭和期 海苔の問屋業とはどんな商売?|創業百年史 海苔一筋 伊藤海苔店 中編

創業百年史 海苔一筋 伊藤海苔店

激動の昭和期 海苔の問屋業とはどんな商売?|創業百年史 海苔一筋 伊藤海苔店 四代目 伊藤信吾

 

 

海苔を仕入れて運ぶ日々

 

輸送インフラも十分に発達していない時代でしたから、仕入れた海苔をブリキ缶や木箱を背負って自転車で何十キロも走るのは当たり前。両国からは引車(リヤカー)で重たい海苔を何箱も積んで、日本橋の客先までは1日何往復もしていました。



海苔をリヤカーで運ぶ様子 茶箱のような木製の箱で運んだ ©️浦安郷土資料館提供

昭和20年代になるとオート三輪などの自動車に荷物を乗せ、富津から羽田までを行き来する日々だったそうです。載せきれない荷物は運送会社で、横網の倉庫まで運びました。そこで売り先に海苔を見せて卸売販売をしておりました。

「この頃は月3000円で住み込みで働かせてもらってたんだよ。丸二は東京でも指折りの海苔問屋だったから、その門戸を叩く若者も多かった。私は築地の店頭にも立ったし、あの頃はとにかく忙しかったなぁ。
冬に海苔を仕入れれば夏には売れるんだから、とにかく良いものを仕入れられるだけ仕入れなさいと知世さんに言われてね。売れ残ったら怒られるからいろいろな客先を廻って頭下げて買ってもらったもんだ。
だけどね、昭和20年代後半から昭和30年の頃にどんどんと埋め立てが多くなって、東京湾では海苔の養殖業もやめる生産者もたくさん増えてきて、丸二は東京ではいち早くに宮城県へ海苔を仕入れに行ったりもしていたなぁ。」

と、当店で昭和の時代に住み込みで働いていただき、現在は海苔屋さんとして独立された元従業員の方からお話しを伺うことができました。



入札会の様子 昭和初期 現在でもこの共販の様子は変わらない ©️海苔とともに 全国海苔貝類漁業協同組合連合会

知世は海苔の目利きと相場感を活かしながら経営手腕を磨き、大正期から昭和初期、第二次世界大戦を乗り越え日本の激動の時代を海苔商として生き抜きました。

下谷と築地にも支店を構えて商いを広げていき、順調にお店の規模や取引の数を増やしていきました。当店の門戸を離れて海苔屋として独立していった若者も多くいたそうで、海苔の組合以外にも苔睦(こけむつみ)を作って若い同業者たちと、海苔のことや商いについて日々仲間たちと精進していたことが古い写真からもわかります。



苔睦での旅行の際の一枚の写真 昭和四十年頃 中央下段 黒い浴衣が初代知世

 

東京オリンピックに向けた埋め立て開発

 

1953年頃に海苔の人工養殖技術が熊本県で完成されてからは、運草・博打草とも言われていた海苔養殖も全国的に安定生産が可能となりました。

しかし東京湾内生産の海苔は、高度経済成長とともに湾岸部の工業地帯開発や埋め立て地の開発などにより、一気にその生産量を落としていったようです。

例えば、1958年におこった黒い水事件では、江戸川区にあった製紙工場の亜硫酸アンモニウムなどが混じった黒い排水が江戸川に放流され、深刻な汚染をもたらした。浦安では約3億円の漁業被害が発生し、漁民たちが暴動を起こしたことが記録されており、このことを発端に、江戸川下流域(葛西沖・浦安沖)の再生事業が行われたとされています。



東京湾 浦安の海苔の干場の様子 ©️浦安郷土資料館提供

また、東京湾の開港や1964年に開催される東京オリンピックに向けて首都高など交通網の整備や港湾整備などの多額の建設投資が行われたことからも、この頃から東京湾湾岸の漁民たちにとってはその生業を奪われることとなったのは容易に想像できるでしょう。

 

大手問屋の破綻を受け大きな負債を抱える

 

全国的に商いを拡げていた大問屋の九州海苔株式会社の破綻を受け戦後の海苔業界に激震が走ったのは1964年のこと。連鎖的に十数社ほどの問屋が倒産してしまいました。当社も不渡りを被ることとなりその影響を大きく受け、創業の地 両国を離れ千葉市川へと製造や倉庫の拠点を移すこととなりました。
古い約束手形や借用書やメモ書きなどがたくさん出てきたことからも、この時期に経営で大変苦労していたのが伺えます。九州海苔の破綻を受け海苔業界の構造自体が変化し、当店では問屋業としての一線を退くこととなりました。

市川工場を拠点とし海苔の加工製造業や寿司店・小売店などへの卸売、一般のお客様への小売を中心として新たな海苔商として運営を始めたのがこの頃からになります。初代知世は1978年に81歳で亡くなり、二代目博人もそれを追うように1980年に57歳の若さで癌で亡くなってしまいました。

知世はこの昭和初期の激動の時代に、上京し開業、太平洋戦争を経て日本が苦しい時代を海苔の商いとともに生き抜きました。そして、全国海苔問屋協同組合連合会の創設理事の一人として業界への貢献も果たしました。
その功績と彼の逞しさは、私の商いの手本となっております。

後編につづく

 
美味しいお海苔といえば! 築地 伊藤海苔店

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